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Good morning 学園長!

Good morning 学園長!について

21世紀に生きる若者のために、筆者が自らの体験に基づいて日本の教育や社会を熱く語るブログです。このブログには、日本の社会や若者に対して強く批判するところがありますが、これも言うまでもなく日本社会と日本の若者を愛すればこそ生まれた怒りであると思っていただきたいと思います。

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第51話 〜 第100話
第1話 〜 第50話

第134話 失敗から学ばない文化に未来はない!

日本史を振り返っていつも思うことは、日本人の生き様を突き詰めてみるといつも「強欲の皮が突っ張った人間の姿か、それともそれを諦めざるをえなかった姿」の二様の姿しか見えてこないのは何故なのだろうか?そこに一人の人間らしい人間の姿を見つけ出し、ほっと一安心することが私にはないのである。結局、日本人の考える人間世界は、どこの神社や仏閣に行っても金銭をほしがるように、宗教を含めて「経済原理」という価値基準に支配されているのではないかと思いたくなる。

第二次大戦から何を学び取ったかと疑いたくなるほど、戦後教育の中でもその痕跡は時代と共に消滅している。その点でも特に、高校教育は「ひどい」の一言に尽きる。それについては、私が言わずとも後の世が証明せざるをえないであろう。

この度の原発事故も、言うまでもなくその教育が生み出した意志を持たない人間の集合体(一般国民も愚かではあるが、特に税金から甘い汁を吸って国家意志を遂行している国家公務員の責任は重大である。)による「人災」そのものであり、その現実を許すような文化は、過去の世界史を振り返るまでもなく結局滅びることになるであろう。

以下、実に教訓的な村上達也さん(茨城県東海村村長)の記事を掲載する。

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毎日新聞 2011年10月8日 東京朝刊

 ◇原発持つ資格欠ける国−−茨城県東海村村長・村上達也さん(68)

 −−福島原発事故での政府の対応をどう評価しますか。

 ◆ 事故拡大を防げなかっただけでなく、住民保護の観点からも対応は後手に回った。計画的避難区域への指定が遅れた福島県飯舘村などの住民は、浴 びる必要のない放射線に長時間さらされた。原発で全電源喪失による事故が想定されていなかったことが示すように、原発に対する楽観的で安易な考えが背景に ある。JCO事故から何も学んでいない。原発を持つ資格に欠ける国だと思った。

 −−JCO事故の教訓は生かされなかったと。

 ◆ 当時も想定外と言われたが、慢心が招いた事故だった。政府を含む「原子力ムラ」は、原子力産業周辺の不届きな会社が法令違反で起こした事故と 総括してふたをし、再び安全神話に浸って原発拡大路線を突き進んだ。また、当時は対策本部があちこちにできて情報共有ができなかった。その反省を受け、す べての原発にオフサイトセンター(緊急事態応急対策拠点施設)ができたが、福島では機能しなかった。その結果、現地対策本部は福島原発から(約65キロ) 離れた福島市に置かれた。これも対策の遅れにつながった理由と思う。JCO事故で感じたのは(放射線量のように)距離の2乗に反比例して緊迫感は落ちる。 風評被害は逆だ。遠方になればなるほど厳しくなる。

 −−村長の持論だった経済産業省と原子力安全・保安院の分離が来春にも実現します。

 ◆ JCO事故後、01年に原子力規制を強化する目的で保安院ができたが、実態はまったく逆方向に進んだ。福島事故後の再稼働を巡る問題などをみ る限り、やはり保安院は規制組織ではなかったと思う。分離して環境省に移す形は良いと思うが、中身が見えない。本当に事故を防げなかった真摯(しんし)な 反省から分離するのか。あるいは停止した原発を再稼働するために分離するのか。権限も分からない段階でどうこう言えないから期待もしていない。

 −−福島原発事故後、脱原発の姿勢を鮮明にされています。

 ◆ 福島原発は3基の原子炉が事故を起こしたという面ではチェルノブイリ原発事故以上の事故だ。世界を震撼(しんかん)させ、ドイツ、イタリアは 脱原発に向かうことになった。本来、日本が真っ先に脱原発を真剣に考えるべきではないか。まずは地震列島の日本に原発はふさわしいのか改めて考える必要が ある。村にある東海第2原発(日本原子力発電)を例にとれば、30キロ圏内で100万人規模が暮らす。東日本大震災では、東海第2もあと70センチ津波が 高ければ全電源喪失に陥る可能性もあった。国の原子炉立地審査指針は「原子炉敷地は、人口密集地帯からある距離だけ離れていること」とあるが、現実と合っ ていないのは明らかだ。理論と実態が破綻する中、原発に依存して地域社会をつくるのは限界で、そこから脱したまちづくりを考えるべきではないか。

 ◇原子力ムラの総括必要

 −−日本で初めて「原子の火」がともった東海村の将来像は。

 ◆ 私は原子力の研究開発からの脱却を訴えているのではない。脱原発を唱えても廃炉や廃棄物の処理や安全対策についての研究は重要で、研究開発拠 点としての東海村の存在意義はむしろ高まる。最先端の原子力科学や基礎研究の推進、国際的な原子力人材を育成するために東海村の経験と施設の蓄積を利用す る。ただし原発のように膨大な電源交付金や固定資産税が入ってくることに比べれば、研究主体のまちづくりは簡単ではない。大変な課題だが、10年もたたな いうちに変わると思う。

 −−脱原発を支える研究拠点を目指すということですか。

 ◆ そうとらえてもらって結構だ。原子力イコール発電だけではないし、旧来の原子力エネルギー開発にしがみついていては先に行けない。そうした考えは捨てるべきだ。

 −−東海第2原発の再稼働の判断について住民投票を示唆されていますね。

 ◆ 具体的な案はまだないが、住民投票でも住民側による請求もあれば、大規模アンケートという方法もある。いずれにしても住民の皆さんが是非を積 極的に判断すべきだ。利害関係が網の目のように張り巡らされた原発所在地で脱原発はすぐに割り切れる話ではない。ちなみに私が脱原発と言ってから直接非難 する人には村で一度も会っていない。「よく言った」と言ってくれる人はいるが。

 −−原子力ムラは変わると思いますか。

 ◆ 絶対に総括しなければいけない問題だ。一つの利益集団ができると、磁石のごとく人が集まって反対勢力を排除し圧迫する。原子力ムラは50年以 上の歴史を持つ牢固(ろうこ)たる社会だ。徹底的に自己批判も含めてやらないと原発の将来はないし、また事故は起きる。そう簡単に変わるとは思えないが、 その中で知恵を働かせてバランスをとる仕組みや組織を作る必要がある。鍵を握るのは政治力だ。

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 ◇JCO臨界事故

 99年9月30日、茨城県東海村のJCO東海事業所でウラン溶液の混合作業中、核分裂反応が連続する臨界事故が発生。死亡した作業員2人を含む666人が被ばくした。違法操業が原因として業務上過失致死罪などでJCOと事業所元幹部の有罪が確定している。

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 ■人物略歴

 ◇むらかみ・たつや

 茨城県東海村出身。一橋大社会学部卒。常陽銀行支店長などを経て、97年9月から現職(4期目)。1期目でJCO臨界事故を経験し、福島原発事故以前から原発に依存した地域振興策の限界を訴えてきた。

それでは、Good bye!

2011-10-09(Sun)

第133話 国難手探りの日々 菅前首相の証言(最終回)

9/17(水)の毎日新聞朝刊の記事がどういう訳かネット上から削除されていましたので、取り急ぎ私の考えでその一部を記録として残しておこうと思います。

______________________

「偶然だったが、タイミングとしても(電話協議の)直前にやったから。・・・結果的には日本も全力を上げて原発事故収束をやっていますというメッセージになったと思う。・・・。」

3月17日 夕 [500ミリシーベルト提案]

・・・政府は3日前、緊急作業時の被曝線量の上限を100ミリシーベルトから250ミリシーベルトに引き上げたが、それをさらに国際放射線防護委員会(ICRP)の基準に合わせて倍の500ミリシーベルトに再度引き上げる内容だった。夕方、菅首相、北沢防衛相、海江田経産相、細川律夫厚生労働相らが会議を開く。

「外国の事例を含めてどうだろう、という一般的な議論はあった。外国の例だと志願した場合は上限なしとかルールがあるが、日本にはない。作業員の安全と事故収束を両立させなければいけないが・・・。」

・・・一方、原発の事故現場では作業する東電も放射線との闘いが続いていた。

「(東電は)確かに板挟みになる。水素爆発で放射線量が高くなる。その中で人の体制を組まないといけない。作業する人の安全性は大事だけれども、一方で国が崩壊するかしないかという瀬戸際のときに何としても事故を食い止めなければならない、という思いだった。」

・・・しかし、自衛隊を指揮する防衛省の反対が強く、

250ミリシーベルトに引き上げたばかりだったため、見送られた。

____________________________

意志疎通欠いた「菅流」 政治部副部長 尾中香尚里

・・・だが、震災と原発事故は同時に、首相としての限界も示した。例えば、自身が「伝言ゲームだった」と認めるように、初期対応で東電との情報共有に失敗した点だ。東電に問題があることは疑いないとしても、それを追及するだけではなく正確な情報が官邸に伝わるような仕組みをまず構築するべきだった。

放射性物質の拡散を予想する緊急時迅速放射能影響予想システム(SPEEDI)でも、所管する文部科学省との意志疎通を欠き、避難計画の策定に十分にデータを生かせなかった。・・・震災と原発事故という二つの「有事」に個人で対応するのは無理な話だ。・・・政権内の適切な人材を配置して「任せる」発想を欠いた。・・・一国のリーダーとしては物足りなさが残った・・・。

___________________________

私見

私は今多くを語りたくない気持ちです。上記したジャーナリストの意見の背後にあるバックボーンが何なのかが分からないが、ともあれ、原発をつくった時の政府とそれを認めて引き継いだその後の政府や官僚、及び原発をコントロールしている電力会社や製造企業など、原発事故を起こした後になっても「危機管理に対する意識が薄い」のなぜか、いざ鎌倉という時のためにどうしなければならないかの大問題を追求しないで、一国の総理を結果的にこき下ろして何が解決するというのかと問いたい。原発の事故現場から撤退しようとした無責任な東電になぜ今もその責任を負わせているのか、なぜそれを追求しないのか。今まさに、第二の大震災が来たら今度は誰を責めるつもりなのだろうか。野田首相か?これこそジャーナリストによるいつもの無責任発言と私は言いた

い。結果に対する原因への厳しい検証と反省、あるいはシステム全体の見直しなどをしないで、単に「個人攻撃」をして表面的で、まるで人ごとのような決着をつけるやり方は、実に良く日本人の文化や意識の低さ、稚拙さの特徴を表していて誠に不愉快な気分です。

それでは、Good bye!

2011-09-15(Thu)

第132話 国難手探りの日々 菅前首相の証言(その五)

9/17(水)の毎日新聞朝刊の記事がどういう訳かネット上から削除されていましたので、取り急ぎ私の考えでその一部を記録として残しておこうと思います。

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「偶然だったが、タイミングとしても(電話協議の)直前にやったから。・・・結果的には日本も全rylくを上げて原発事故収束をやっていますというメッセージになったと思う。・・・。」

3月17日 夕 [500ミリシーベルト提案]

・・・政府は3日前、緊急作業時の被曝線量の上限を100ミリシーベルトから250ミリシーベルトに引き上げたが、それをさらに国際放射線防護委員会(ICRP)の基準に合わせて倍の500ミリシーベルトに再度引き上げる内容だった。夕方、菅首相、北沢防衛相、海江田経産相、細川律夫厚生労働相らが会議を開く。

「外国の事例を含めてどうだろう、という一般的な議論はあった。外国の例だと志願した場合葉上限なしとかルールがあるが、日本にはない。作業員の安全と事故収束を両立させなければいけないが・・・。」

・・・一方、原発の事故現場では作業する東電も放射線との闘いが続いていた。

「(東電は)確かに板挟みになる。水素爆発で放射線量が高くなる。その中で人の体制を組まないといけない。作業する人の安全性は大事だけれども、一方で国が崩壊するかしないかという瀬戸際のときに何としても事故を食い止めなければならない、という思いだった。」

・・・しかし、自衛隊を指揮する防衛省の反対が強く、

250ミリシーベルトに引き上げたばかりだったため、見送られた。

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意志疎通欠いた「菅流」 政治部副部長 尾中香尚里

・・・だが、震災と原発事故は同時に、首相としての限界も示した。例えば、自身が「伝言ゲームだった」と認めるように、初期対応で東電との情報共有に失敗した点だ。東電に問題があることは疑いないとしても、それを追及するだけではなく正確な情報が官邸に伝わるような仕組みをまず構築するべきだった。

放射性物質の拡散を予想する緊急時迅速放射能影響予想システム(SPEEDI)でも、所管する文部科学省との意志疎通を欠き、避難計画の策定に十分にデータを生かせなかった。・・・震災と原発事故という二つの「有事」に個人で対応するのは無理な話だ。・・・政権内の適切な人材を配置して「任せる」発送を欠いた。・・・一国のリーダーとしては物足りなさが残った。・・・。

___________________________

私見

私は今多くを語りたくない気持ちです。上記したジャーナリストの意見の背後にあるバックボーンが何なのかが分からないが、ともあれ、原発をつくった時の政府とそれを認めて引き継いだその後の政府や官僚、及び原発をコントロールしている電力会社や製造企業など、原発事故を起こした後になっても「危機管理に対する意識が薄い」のなぜか、いざ鎌倉という時のためにどうしなければならないかの大問題を追求しないで、一国の総理を結果的にこき下ろして何が解決するというのかと問いたい。原発の事故現場から撤退しようとした無責任な人間になぜ今もその責任を負わせているのか、なぜそれを追求しないのか。今まさに、第二の大震災が来たら今度は誰を責めるつもりなのだろうか。野田首相か?これこそジャーナリストの無責任発言と私は言いたい。個人攻撃をして決着をつけるやり方は、実に良く日本人の文化や意識の低さを表していて誠に不愉快な気分です。

・・・・・本日はここまでにします。さらに後日、追加いたします。

それでは、Good bye!

2011-09-15(Thu)

第131話 国難手探りの日々 菅前首相の証言(その四)

9/17(水)の毎日新聞朝刊の記事がどういう訳かネット上から削除されていましたので、取り急ぎ私の考えでその一部を記録として残しておこうと思います。

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3月17日 朝 [ヘリで放水]

・・・大震災から5日後の16日。2日前に原子炉建屋で水素爆発を起こした3号機、前日に火災が発生した4号機の使用済み核燃料プールの冷却が急務だった。菅首相が防衛省に打診したのが、地上と上空から両面で放水する案だ。

「・・・阪神大震災のときに上空から火災を消すのに(自衛隊ヘリを)使うかどうかの議論があったと本で読んだ記憶があった。・・・それを北沢さんに「どうですか」と聞いたら、自衛隊内で話し合ってくれて、初めてのことだがやってみようとなった。」

・・・このころ、米国は日本の対応に疑念を持っていた。東日本大震災対応で米軍の被災地支援活動「トモダチ作戦」の米国務省タスクフォースの調査官を務めたケビン・メア氏は8月18日、東京都内の記者会見で、当時米政府内で東京在住の米国民9万人や在日米軍を避難させることが検討されたが、自分が拒否したと明かしている。

「明示的に言われたわけではないが、(当時、米国からは)日本がどこまで(本気で)やるのか、という雰囲気が伝わってきた。」

・・・政府内では地上から消防車、上空からヘリコプターの2面作戦の放水を立案。地上の放射線量が高く、ヘリコプターを先行させた。・・・水蒸気爆発を招く危険もあった「決死の作戦」といわれた。

「16日にいったんヘリが飛んだが、放射線量が高くてできなかった。何とか(やってほしい)と(自衛隊に)言ったら、(折木良一)統合幕僚長が「国民を守る責任を負っていますからやります。」と言って、北沢さんがその雰囲気を感じて、2日目の17日は何があってもやるんだという覚悟で臨んだことは間違いない。」

・・・政府高官は、首相秘書官室の市場速報を映し出すモニターで東京株式市場の株価が下げ止まるのを見て、「自衛隊は経済にも影響力を持つようになったか」ともらした。首相とオバマ大統領の電話協議はその直後だった。

・・・・・本日はここまでにします。さらに後日、追加いたします。

それでは、Good bye!

2011-09-13(Tue)

第130話 国難手探りの日々 菅前首相の証言(その三)

9/17(水)の毎日新聞朝刊の記事がどういう訳かネット上から削除されていましたので、取り急ぎ私の考えでその一部を記録として残しておこうと思います。

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3月15日 午前4時17分 [1号機爆発]

清水社長が官邸を訪れた。

「撤退したい意向があると聞いたけどと言ったら、はっきり言わない。撤退したいとも、全く考えていないとも言わない。一時的に退避するようなしないような・・・。」

・・・菅首相は政府と東電の統合連絡本部を提案し、午前5時35分、東京・内幸町の東電本部へ乗り込む。・・・

「放置すれば、すべての原子炉と使用済み核燃料プールが崩壊することになる。そうなれば日本の国が成り立たなくなる・・・。逃げても逃げ切れない。金がいくらかかっても構わない。日本がつぶれるかもしれないときに撤退はあり得ない。・・・」

・・・放射線の危険と隣り合わせの事故対処に、「覚悟を決めてくれ」と迫った菅首相。このときの思いを、こう振り返った。

「放射性物質がどんどん放出される事態に手をこまねいていれば、(原発から)100キロ、200キロ、300キロの範囲から全部(住民が)出なければならなくなる。国際社会が当然日本に何とかしろと圧力をかける。黙って指をくわえてみていて、日本が何もやらないなら、国際社会だって黙っていない。ものすごい危機感があった。(放置すれば)間違いなくチェルノブイリ事故どころじゃない量の放射性物質が出る。国際的な部隊がやってきて対応しなければいけなくなることだって十分にあり得ると思った。」

・・・菅首相は東電幹部を前に「60歳以上が現地に行けばいい。私はその覚悟でやる。」とも言った。政府高官によると、菅首相は海江田経産相や側近議員らにも同様の発言をしている。

「この事故で命を懸けている。放射能障害の問題を考えたら、ある程度世代の高い人がやった方が相対的には影響が少ないとされている。実際、俺たちもやってもいいという原子力の専門家から連絡があったりした。」

・・・・・本日はここまでにします。さらに後日、追加いたします。

それでは、Good bye!

2011-09-10(Sat)

第129話 国難手探りの日々 菅前首相の証言(その二)

9/17(水)の毎日新聞朝刊の記事がどういう訳かネット上から削除されていましたので、取り急ぎ私の考えでその一部を記録として残しておこうと思います。

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3月12日 午後3時36分 [1号機爆発]

「・・・保安院はまだメルトダウンしていないということだったけど、他からはメルトダウンしているのではないかという情報もたくさん入っていた。」

3月12日 夕 [避難指示拡大]

「10キロにしたときは夜中だった。・・・自衛隊にも随分手伝ってもらって一軒一軒逃がすわけだから。ここまで逃げた方がいい、ちゃんと逃がすことができるか、その判断の中で(安全委と)相談して決めていった。」

「状況が把握できなかった。何が起きるか分からない中で、かなり幅を持たせて拡大していった。格納容器が壊れたら、ものすごい量の放射性物質がでるわけだ。いろんな危険性、可能性を含めて考えた。」

「この避難指示は、原子炉の状況が危ないからという観点から行った。SPEEDIは放射性物質の線量を予測するものだが、原子力安全委はあの段階ではSPEEDIを判断材料にしていなかったと聞いた。」

3月15日 午前3時 [東電 撤退意向]

・・・海江田さんがちょっと話がありますと連絡してきたのは、15日午前3時頃だったと菅氏は記憶している。・・・

「海江田さんが、東電が第1原発から撤退したいという意向を持っているというから、・・・撤退ってどうするんだ。第1原発だけで6つの原子炉があって、放っておいたら全部がメルトダウンを起こして世界中に放射能が放出される。命にかけても止めるしかないのに、放棄して逃げるなんて。一時的に線量が高いから退避するのは別だが、撤退するなんて考えられん。それで清水社長を呼んだ。」

・・・・・本日はここまでにします。さらに後日、追加いたします。

それでは、Good bye!

2011-09-09(Fri)

第128話 国難手探りの日々 菅前首相の証言(その一)

昨日9/17(水)の毎日新聞朝刊の記事がどういう訳かネット上から削除されていましたので、取り急ぎ私の考えでその一部を記録として残しておこうと思います。

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まず、新聞両面の上部に、「東日本大震災後1ヶ月の管政権の対応」として昼夜を問わずその活動の記録が時間を追って記されている。

残りの両面に書き込まれた前首相の重要な発言内容をピックアップして見ると以下の通りである。

3月11日 午後2時46分 [地震発生]

「阪神大震災の時自衛隊の出動要請が遅れた。北沢さん(防衛相)に最大限自衛隊を出動させてくれ。10万人何とかなりませんか。(防衛相は)えっ、という感じだったけれど実際に対応してくれた。総員20万人のうち10万人っていうのはすごいこと。本来業務をぎりぎり下げてやってくれたのは、北沢さんの存在が大きかった。」

3月11日 午後3時42分 [外部電源喪失]

「地震、津波は救出救命に全力をあげなければならない。一方原発事故でも関係部局から人を集めた。この二つに同時に対応するのは大変だった。」

「最初に全電源が落ちて、冷却機能が停止し、原子力災害対策特別措置法第15条事象となった。冷却が止まることがどういうことか私には分かっていたから、何としても冷却機能を復活できないかといったら、電源が落ちている、電源が必要だ、となった。在日米軍基地からも借りた。ヘリコプターで輸送しようにも重さと大きさを測ったら、とても無理。陸路で最初の一台が到着して大丈夫かと思ったら、プラグが合わなくて繋げない。」

3月12日 未明 [格納容器異常]

「ベントをすべきだと三者(東電、原子力安全・保安院、原子力安全委員会)とも言った。東電に伝えてくれ、伝えました。やったか、と聞くと未だやってません。なぜできないんだ、もう一回伝えてくれ。伝えました。」

「清水社長がこう言ってますとか、現地の吉田(福島第一原発)所長がこう言ってます、という話がないんだ。(ベント実施を)判断する人がいないのか、技術的な問題があるのか、いろんな事情が当然あり得るわけだ。結局は伝言ゲームだった。」

・・・・伝言ゲームに業を煮やした菅首相は俺が現場と直接話すと枝野幸夫官房長官らに伝え、現地視察を決意する。・・・

「武藤さんは何も言わないので、吉田さんに直ぐにベントをやって下さい、と言ったら、はい分かりましたといった。吉田さんはこちらが聞いたことにちゃんと答えてくれた。だから、東電がそれまでベントをどういう方針で進めていたかは分からない。」・・・・・本日はここまでにします。後日、追加いたします。

それでは、Good bye!

2011-09-08(Thu)

第127話 センター試験の本質を知れば生き方も変わろうというもの

センター試験の成績によって合格する大学が決定されると言うけれども、この国ニッポンでは実際にはその程度の考え方を遥かに超えてその人の人生そのものを左右していると言っても良いのです。

諸外国と比較して学力が劣っていると思うやいなや、必ずと言っていいほどセンター試験に手をつけるのです。さらに、義務教育を、総合教育からゆとり教育へ、はたまたゆとり教育から総合教育へ・・・。この繰り返しは、日本人の愚かさを如実に写し出しているバロメーターでもあるのです。それ以外の方法を考えることができない哀れな国民で、しかもすべての国民が「勤勉」を美徳とする二宮尊徳をしょっているから、その被害は甚大で、何事であれグローバル化していく地球上で唯一取り残されていくのです。

高校入試は日本の子供たちが始めて経験する全国規模で行われる中学教育の結果集計であり、そしてセンター試験は中学教育の数十倍の暗記量をもつ高校教育の結果集計であり、それが大学への資格試験の一つとして実施されているのです。そして、大学へ入学した後に実施される各種の国家試験や公務員試験、あるいは入社試験の一つであるSPIであっても、基本的にはこのセンター試験をベースとしているのです。私は、あれこれ調べ、そして実際に大学生や社会人を対象に受験指導する中で分かったことですが、むしろセンター試験は難度の上限を設定しているのではないかと思えるところがあるのです。要するに、センター試験を越えるような試験は日本において他には存在しない(注)ということです。

ということは、ちょっと結論を急ぎますが、日本社会のすべての秩序や習わしが高校で使用されているその内容が嘘か本当かも分からないような非専門的で、未熟な教科書を、何も知らない教師の指導で半強制され、そして丸暗記で固めたあの高校生の「くそ真面目な頑固頭」の坊ちゃんとっちゃん大人によって判断され、また形成されているということになるのです。

結果として、専門書の翻訳本を見ても現実にガリ勉高校生が訳したような誤訳だらけで、原発に至ってはガリ勉高校生には手に負えず、アメリカやフランスへ丸投げするなど、いやはや一人のニッポン人として訴えたい。「いい加減にせい!!」とね。

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(注) センター試験の成績を上げるには、全国の高校のやり方とは全く異なったいい手があるのです、実は。興味がありますか?

それでは、Good bye!

2011-08-10(Wed)

第126話 高校野球はやっぱり教育の場なのです!?

高校野球はパンチラのストリップ劇場でも、人気タレントや芸能人の養成所でも、また私立中・高・大の生徒募集のための草刈り場でも、さらには金目当てのマスコミや広告業者が巣くう場でも、はたまた一攫千金を狙うプロ野球への就職活動の場でもなくて、そこはあくまでも高野連のおっしゃるように、純粋な意味で、大人になる前の青少年を育成するための「健全な教育の場」なのです!!?????

・・・・・・・

資料:

前代未聞!広島大会、ルール分からず1時間19分中断

デイリースポーツ 7月27日(水)7時52分配信

 「高校野球広島大会・準決勝、崇徳4‐5新庄」

 準決勝2試合が行われ、如水館、新庄が勝って決勝に進んだ。如水館は3年連続、新庄は初の決勝進出。新庄‐崇徳では、選手交代のルール確認と説明のため、試合が午後3時32分から同4時51分までの1時間19分も中断する、前代未聞の“事件”が起こった。

  ◇  ◇

 前代未聞の中断劇は、4‐4で迎えた延長十回表に起こった。

 崇徳は無死一塁から先発・阪垣を左翼に回し、松尾を登板させた。松尾が次打者に犠打を決められ1死二塁となると、再び阪垣をマウンドへ戻し、松尾を左翼へ。さらに2死三塁となってから、再び左翼・松尾と投手・阪垣を入れ替えた。

 野球規則では、この交代は認められていない。しかし審判は投手交代をコールし、松尾も投球練習を始めた。投手交代となれば阪垣はベンチに下がらなければならないが、この時点で崇徳はベンチ入り選手20人を使い切っていた。野球規則を厳密に適用すれば、没収試合で崇徳の敗戦となる。

 高野連の話し合い、新庄・迫田守昭監督(65)の抗議などで、中断は延びに延びた。特にベンチの迫田監督は関係者に「規則は規則でしょう!」「帰りますよ!」などと怒気を含んで抗議。結局1時間19分後、投手・阪垣、2死三塁から試合再開となったが、再開直後に新庄が1点を勝ち越し、試合は5‐4で新庄が勝利した。

 広島高野連・阿蘇品理事長は「申し出があった時に(審判が)ルールを把握していなかった」と不手際を認めた。その上で「高校野球は教育的な意味合いを持ってやっている。厳しい方向(没収試合)よりは、元の状態に戻して再開しようというのが、こちらの判断」と話した。

それでは、Good bye!

2011-07-27(Wed)

第125話 メモ書き:いつものヒステリーといつもの説教

その一:デイリースポーツ

女子リーグ最多観客動員、ホームズに1万7812人

「なでしこリーグ、INAC神戸2‐0千葉」

INAC神戸MF沢穂希、FW川澄奈穂美、千葉FW丸山桂里奈ら両チーム合わせて女子W杯ドイツ大会の優勝メンバー・なでしこジャパン8人が出場したホームズスタジアム神戸には1万7812人の観客が詰めかけ、女子リーグ最多観客数を大幅に更新した。

 これまでの女子リーグ最多観衆記録は95年の鈴与清水‐シロキ戦の1万人。INAC神戸においては今季開幕戦・浦和戦(5月3日、ホームズ)の1403人。W杯中断前の前戦・伊賀FC戦(6月11日、三木防災公園)では448人だったため、40倍近い観客増となった。

その二:One Cup OZEKIのラベル「ニッポン みんなひとつに!」

それでは、Good bye!

2011-07-24(Sun)

第124話 誤訳を生むいびつな文化

私は教育と翻訳の2つの仕事に携わる立場から、日々「基礎学力とその応用という問題」に悩まされています。

日本に漢字が渡ってからおよそ1,500年経つとしても、英語の歴史もその10分の1の150年は歴然としてあるのです。しかも、特に戦後教育の中で徹底して指導されているのですが、ご存じのように現実にはそこに英語に弱い、何時までも欧米コンプレックスから抜け出ることのできない日本人がいるのです。

なぜこのような現象が生まれたのか?という答えは一つしかありません。それは英語教育の、というかむしろ教育そのものの根本が間違っていると思われるからです。言うまでもなく、漢字教育の延長線上に英語教育を置いているその思考に問題があるのが、その一例です。ですから、この現象は英語だけの問題ではなく、何事にも派生し、場合によってはある意味で間違いなく「文化の萎縮現象」が起きているのではないかという仮説が立てられるほどです。

漢字教育を前提として英語教育を捉えることは、私にとっては暴論であり、論外であって、そこに新しい文化は決して生まれません。誤訳が生まれ、それを平然と受け止め、認めるという文化は、当然のことながら異質な体質ですから世界のすべての文化に通用する普遍性がないのです。結果として、その文化は外ではなく内へ向かうことになり、いびつな性質の文化に変質していくのです(鎖国状態)。

日本中がひっくり返っている昨今の「東電の福島原発」でも、自分の能力で正しく判断し、行動することができずに何時までも右往左往し、挙げ句欧米の知識や協力に依存する甘えの体質も、誤訳と同様にすべてこの誤った思考法から生まれているのでしょう。

それでは、Good bye!

2011-07-19(Tue)

第123話 欲望という乗客を満載した暴走列車

明治期以降の日本社会を、私は「欲望という乗客を満載したブレーキの効かない暴走列車」と呼ぼう。「汽笛一声新橋を・・・」から車輪のない正に夢のような21世紀の列車「リニア」一つ取ってみても、「赤煉瓦の洋館建て」から「東京スカイツリー」を観ても、また日本人の日常のありとあらゆる物がこの1世紀半の間にそれ以前の日本人の日常とはすっかり変わった物質的発展の側面と、反対にちっとも変わっていない、言い換えるとその社会的大変化に伴った成長のない面、すなわち無知故に気づくことなく頑固に貫いている精神的幼稚性の側面、これら二つの面が見えてくる。

後者の面を様々な表現で呼ぶことができよう。「心の成長の遅れ」、「学問の未発達」、「思想の未熟さ」、「教育の未発達と前時代性」、「欲望の塊」・・・・などである。しかし、もっと決定的なもの、すなわち「己の存在」(これがいったい何であるかについては、私の永遠のテーマである。)が悲しいかな振り返って2,000年の日本史の中で一貫して見て取れないのである。

教育の中の歴史や小説、映画、テレビなどすべて目にする日本人の歩んできた過去の歴史は、ある意味で「学ぶ」対象ではなく「懐古する」対象になっているのである。

これら二つの面、特に後者の成長なくして前者がないのは言うまでもありません。現在、日本社会の最先端の科学技術の未熟さと不的確な科学的判断のおかげで、日本人の乗った強欲列車がコントロールができず暴走し(東京電力の福島原発事故という形で)、明治期以降日本人に欲望を与え続けた西洋列国に対してひたすら「止めてくれ!!」と悲痛な声で叫んでいるのである。これと同じ現象は、日本人の精神的幼稚性がこのまま続くと恐らく、いや間違いなく「リニア」にも起きうることであろう。

あなかしこ、あなかしこ・・・。

それでは、Good bye!

2011-05-08(Sun)

第122話 「頑張ろう」より悲しみ共有

以下に取り上げた毎日新聞の記事を、私が掲載された後しばらく時間を空けて再度見つめ直した理由は、私も野田正彰さんとは違った視点からと思うけれども同様の意見で、この度の大震災に対するマスコミや国家機関、あるいは日本社会や日本人の関わり方において、大いに憤慨していたところであったためにどのように言葉で表現しようかと実は悩んでいた空白の期間でもあったのです。

私の憤慨を大ざっぱに述べると、例えば、頑張ろうコールを無責任に連呼するマスコミやスポーツマンとか、一時的な炊き出しのパーフォーマンスを繰り返す芸能人や有名人とか、最大の責任者である政治家や政党間での当てつけや内部抗争とか、刃が向きそうになると卑劣にも闇に身を隠し沈黙を守る官僚たちの姿などです。そして、被災者たちは運が悪かったかのように悲しくも取り残され、時と共に忘れ去られていくのです。

「頑張ろうコール」は、「のど元過ぎれば熱さを忘れる」という諺のようにほとぼりが冷めると何事もなかったかのように全てを忘れて日常に戻るという生き方が生んだ好都合な言葉の象徴のようにも聞こえてくるのです。

私は災害の原因究明のために、すべての日本人に染み込んだ「刹那意識」を長い日本史の中で頭に叩き込んだ過去及び現在の「教育の在り方や実情」まで遡って徹底的に追求し、深く反省してこそ具体的な「対策」が得られ、従って同じ「人災」(原発問題は人災以外の何ものでもないと考えている。)という過ちを二度と繰り返すことがなくなると思っているのです。

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東日本大震災:精神科医・野田正彰さん「復興偏重で遺族孤立」

毎日新聞 2011年4月20日 西部夕刊

 ◇「頑張ろう」より「悲しみ共有」

 被災者支援について調査・提言している関西学院大学教授で精神科医の野田正彰さん(67)が15、16日、宮城県沿岸部に入り遺族や被災者の話を 聞いて歩いた。東日本大震災では2度目の被災地入り。家族を失って1カ月が過ぎた遺族らと接した野田さんは「復興ばかりに重点を置いて『頑張ろう』を繰り 返せば、遺族の疎外感と喪失感は強まる。復興支援は一番つらい遺族の視点に立つべきだ」と安易な復興ムードに警鐘を鳴らす。【村松洋】

 県南部、福島県境にある山元町。641人が死亡し、131人の行方が分かっていない(18日現在)。

 野田さんは山元町立坂元中学校の避難所を訪ねた。「家族全員が見つかるまでは」と震災後ひげをそっていない男性がいた。目黒裕一さん(36)。両 親、祖母、姉の5人家族だったが、4人の行方が分からない。「避難所にいれば、いつかみんなが顔を出すんじゃないかって。甘い考えだったかな。携帯もメー ルもつながらないんです」。今月上旬、姉ゆかりさん(39)に目元が似た遺体の写真を見つけた。DNA鑑定の結果を待っている。

 「家族が夢に出てこない。俺って冷たい人間なんですか」。そう尋ねた目黒さんに野田さんは「そんなことはない。家族もあなたのことを思って流されたはずだよ」。目黒さんは「それならやっぱり俺が早く見つけてあげたい」とつぶやいた。

 仙台市の南隣、名取市閖上(ゆりあげ)地区。「あれは、妻が育ててたんだ」。汚泥をかぶったビニールハウスを指して、荒川勝彦さん(63)は野田さんに言った。中に、ピンクや白のカーネーションが、枯れずに残っていた。

 妻八千代さん(58)はあの日、ハウスにいた。近所の人の話では地震後、自宅にいた三男孝行さん(27)を迎えに車で自宅に戻り、一時公民館に避 難。更に約500メートル離れた中学校に向かう途中、津波にのまれた。孝行さんは遺体で見つかったが、八千代さんは見つかっていない。

 自宅から公民館まで、野田さんは荒川さんと八千代さんの話をしながら歩く。「なかなか気持ちの整理がつかなくて……」。そう話す荒川さんに、野田 さんは「奥さんが生きた記憶を忘れずに生きていくんだよ。奥さんの生前の姿を一番伝えられるのはあなたなんだから」と声をかけた。八千代さんの足取りを荒 川さんに追体験してもらうことで、少しでも心の整理をしてもらおうと、野田さんは考えた。

 野田さんによると、遺族は被災直後、家族を失った現実をなかなか受け入れられない。遺体が見つかり数カ月が過ぎたころ、喪失感に襲われる人もいるという。そんな時「遺族に寄り添って、悲しみを共有してあげることが大切」という。

 野田さんは「遺族ほど悲しみや苦しみに耐え、頑張っている存在はいない。周囲が死を見ないようにして『頑張ろう』と復興ばかり強調すれば遺族は『放っておかれている』と思う。喪失感は増し、最悪自殺という手段を選択させてしまう」と遺族の孤立化を危惧している。

それでは、Good bye!

2011-04-26(Tue)

第121話 悲しく哀れに思ういつもの春

本日、こんな記事が目に入った。

大学別合格者数を不適切表記 第一ゼミと市進 消費者庁が月内処分へ

産経新聞 4月20日(水)1時26分配信

 近畿を中心に小中高生を対象とした進学塾「第一ゼミナール」などを運営する「ウィザス」(大阪市)と、首都圏で「市進学院」などを展開する市進教育グループ(千葉県市川市)が、チラシやホームページに掲載した大学別合格者数について、実際より多く合格したと誤解しかねない不適切な表記をしていたことが19日、分かった。消費者庁は景品表示法(優良誤認)に基づき、4月中にも再発防止を求める措置命令などの行政処分を出す方針。

 ウィザスによると、第一ゼミナールや系列の第一ゼミ予備校では昨年4月、ホームページや募集チラシに、3月末時点での大学別合格者数を掲載。難関校や有名校に多数合格したと記していたが、実際は「ファロス個別指導学院」「SUR」などグループ内の別の進学塾の実績も含んでいた。

 社内でも掲載方法が問題となり、ホームページでは同月中に別の進学塾の合格者数も含むとのただし書きを添えた。チラシも昨年6月の夏期受講生募集分から記載を改めたという。

 一方、市進教育グループを統括する「市進ホールディングス」によると、グループでは、昨年度の大学別合格者数について、個別映像学習システム「市進ウイングネット」の受講生分を含め、ホームページなどに掲載。市進は提携先のウィザスにもウイングネットを配信しており、ウィザス側の合格者数も市進分として合算していたが、合算しているとの注意書きを明記していなかった。

 ウィザスの担当者は「誤解を招く表記だったのですぐに改めた」などとコメント。市進ホールディングス広報宣伝部は「ウイングネット受講生の合格実績の集計に一部手違いがあった」と釈明している。

 ウィザスは近畿を中心に約140カ所で「第一ゼミナール」などの学習塾を展開。市進教育グループは首都圏を中心に約120カ所で「市進学院」を運営するなどしている。

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(私見)

「進学実績」だけで食いつく魚ってどんな魚?しかもそれが魚ではなくて人間であるというのだから、哀れにも日本人は自分の自尊心を捨てて「進学実績」という餌に食いつく魚になったと言わざるを得ない。

しかもその餌はどんな餌かというと、人として最も大切な思考力を捨ててひたすら暗記させるという餌で、その餌で成長した魚を優れた人として評価する大学というのは一体どこのどの大学なのかな?

今、我々日本人が一番苦しんでいる原発と放射能を日本人が最も憧れ尊敬する○○大学の出身者がコントロールできずに、とうとうアメリカ人やフランス人に莫大な税金を遣って(昨日の記者会見で、仏アレバ社の社長は時折白い歯を見せて半ばほくそえんでいたが)彼らに祈るように頼る現実は、さもありなん、さもありなん。

そんな「進学実績」という餌づくりに私立の中高一貫校が教育という名の下にシャカリキになって金儲けをしているが、これも同罪ということか。あなかしこ、あなかしこ・・・・・。

それでは、Good bye!

2011-04-20(Wed)

第120話 東京大学は古刹として遺る

科学は万事疑うことから始まる。そして、その疑いの心は無から有が生まれることがあり得ないように、自律しようとする意思を持った人間、そして科学しようとする目を持った人間こそ抱くことのできる尊い精神である。

誰が言ったか書いたか知らないような教科書や参考書を教育の中心に据え(教科書教育=四書五経=教育勅語)、しかもその中身もまともに理解できないばかりか、「疑いの心」を持って何一つ検証できない学校教師や、はたまた大手の、あるいは名の知れた塾や予備校の教師面した腐った無責任野郎や女郎の発言をまともに受け止めて、日本の若者たちが愚かにも最終的にたどり着くあこがれの地があの「東京大学」というのであれば、千年・万年後には間違いなくその地は文化遺産として東洋の一宗教の「古刹」(こさつ)となっているであろう。

それでは、Good bye!

2011-03-16(Wed)

第119話 これが分からんか!という熱血教育の敗北

若者を育てるその育て方には多種多様であることは言うまでもありません。しかし、大方の日本人に理解してもらえると思う心の深層にあるポジティブな教育法と言えば、「金八先生」「高校野球とそれに似た星野野球」「遅寝早起きの宿題漬け」「夜遅くまでの居残り授業」「陽明学者熊沢蕃山の少年記」「高額な家庭教師による個人授業」「ハイテクと見せかけて実は主婦の内職である大手の古典的な通信添削」「学校教育を否定して、というよりも学校と協力して偏差値の高い中・高・大への合格実績を叫ぶ学校や学習塾」・・・といった類のものではないでしょうか?

思うに、これで一体「精神的に自律した人間」が育つのでしょうか?

しごきと見せかけたスキンシップ、愛と鞭、スケベ根性とスパルタ教育、スポーツマンシップと根性論、意味薄弱な文武両道、見せかけの熱意と金儲け、無知のくせして威張り散らす権威主義、日本型真・善・美でごった煮の甲子園・・・などのイメージが付きまとい、私にはとてもじゃないけどこれが教育とはとても言えたものではないという印象を強く抱くのです。

そのような環境の中で、学校の教師があれほど性犯罪を繰り返していても、それは例外でその教師だけの責任だと平気で思えるその日本人の感覚は一体どこから来ているのでしょうか?

近年、変に過度に親切で、かといって担当教科に専門的な知識は全くなく、なのに妙に保守的な価値観に従って押しつけがましい命令口調の学校教育が嫌になって中退や高校進学を拒否した生徒が我が斉木学園に多く入学してくるのは一体どうしてなのだろうか?と考えることがあります。

どの生徒を見ても、実際的に能力も、また人間的な人格も際立って優れているのです。彼らこそ今後の日本に必要な人物像であり、期待できる人たちなのです。しかし、日本の教育はそのような期待できる若者たちを現実に一方的に切り捨てているのです。

これは仮説なのですが、もし彼らをことばで表現するとこれまでの国立T大学・K大学を頂点とした暗記中心の偏差値教育とは異った国際的な能力と感覚、そして判断基準(グローバル・スタンダード)をもった本当の意味で優れた「新日本人の出現」ということになるのではないでしょうか?私はこの新日本人に大きな期待を寄せているのです。

それでは、Good bye!

2011-03-10(Thu)

第118話 クイズ形式の入試問題で人の能力を判定するな!

IBMのスーパーコンピュータ「Watson」、クイズ対決で人間に勝利

人間対コンピュータのクイズ対決は、コンピュータが大差をつけて勝利した。

ITmedia News2 011年02月17日

(私見)

このニュースについて私は二つのことに興味を持ったのです。

一つは、このコンピュータの「英々翻訳」の能力です。私は長い間「英日・日英翻訳の変換理論」に取り組んできたので、この‘ワトソン君’の言語変換理論に強い関心があるのです。何とか知りたいですね。

もう一つは、このワトソン君が人間との「クイズ」というゲームに勝利したという点です。囲碁や将棋、あるいはチェスというゲームでのコンピュータと人間の対決が時々ニュースとなりますが、今回の場合はそれとは少々異なる事件です。つまり、「クイズ問題」が対決ゲームになっているからです。問題と答えが予めあって、その問題から答えまでを人間のことばという自然言語を手段として導き出すからです。

今回の場合は「英々翻訳」の理論に基づいているのですが、これを「日々翻訳」の理論に応用したらどうなるでしょうか?面白い結果が出ると思いますよ。つまり、日本の教育内容にしても、またその学力判定にしても「暗記学習」が中心ですから、もし「侍ワトソン君」ができたら学校の定期試験もセンター試験も全て満点(100点)ということになり、人間よりもコンピュータの方が何とバカバカしい話ですが「有能だ」ということになります。

そんな馬鹿なと思われがちですが、現在米国のカリフォルニア大学サンタバーバラ校(UCSB)の教授であるあの中村修二先生は、日本の大学入試を「超ウルトラクイズ」と呼んでいますから、私が言うこともあながち見当外れでもなさそうです。もしそうであれば、クイズ問題の解き方を教えて教育と言ったり、クイズ問題が少し解けるから優秀だと言ったり、逆に解けないから馬鹿と言ったりしている人は正に不届き千万ということになるのではないかな?

それでは、Good bye!

2011-02-22(Tue)

第117話 教育現場でのいわゆる「板書」は生徒の自律性を奪う

私は代々教師一家の家庭で育ちながら特に高校の時に教師に反発したことから、ある種の変わり者扱いをされてきたのは事実であることをまず述べておきたい。

・・・

高校3年生の時の日本史の授業で、丁度席替えで前列の教卓の近くにいたのでさらにまずかったのであるが、その日本史の教師は私の担任でもあり、ある意味で几帳面な人なので授業の度に黒板の左端の上から綺麗な字で横書きで書いていくのである。1時限が終了するときには見事黒板の右下まで書いて終了するのである。

・・・

私はその技も教師の力量の一つなのかとあるときは感心もし、あるときには呆れもしたのである。なぜ呆れたのかというと、教師の真下に席があると授業中にあれこれ作業(?)する癖のある私には窮屈で、ストレスが溜まるのである。あるとき、そのストレスのせいだと思うのであるが、その教師の授業が始まって直ぐ、見上げてみるといつものように黒板の左上から綺麗な横書きの文字で書き始めたとき、私の腹の虫が私にこう言わせたのである。「先生、それは教科書に書いてあるので、教科書にはないことを書いて下さい。」と。その教師はあまり血色の良い人ではなく、少しすらりとした体格の男性であったために、顔が蛸入道のように赤くなるのではなく、みるみるうちに白く蒼白になっていったのである。私はその後三者懇を含め卒業するまでの約1年間、その教師と一度も言葉を交わすことはありませんでした。

・・・

今思うに、教師の全ての生き方を無批判に受け入れ、学校では真面目な生徒だと評価されている儒教精神を身につけた若者ほど激動する21世紀の社会に適応できない、厄介な大人になっているのは事実ではなかろうか?

それでは、Good bye!

2011-01-26(Wed)

第116話 激動する日本社会に取り残される教育

今の世が不況の中にあるために、受験生が大学で言えば国・公立系、進学分野で言えば教育・会計・医療などの資格系コースを志望するのは誰しも理解が容易である。振り返ってみれば、経済が好調なときは「東京阪・関関同立」(関西版であるが)といい、不況になると「一層高偏差値の国・公立の名門大、そうでなければ医師・弁護士の医科大・法科大学院、そしてさらに不況になると薬剤師の薬科大の波が10年も保たないうちに、現在は医療技術や看護系の大・短・専コースに押し寄せる(もちろん、ワン・パターン教育の高校には、その波に対応した教育も、進路指導も、データもなく、ずらりと並んだ赤本とその非科学的な解説授業があるだけである。)」。これが、今を生き抜こうとする若者たちの受験状況と言える。

・・・

正直に滑稽でないとは言わないが、その状況を冷静に観察してみると、その場に一人の意思のある若者の未来が見えるだろうか?ある意味で、若者たちが大人たちの理不尽な社会活動に振り回されている哀れな意思なき昆虫に見えてこないだろうか?

・・・

「何が」若者たちを哀れな昆虫につくり上げたのだろう?考えてみる・哲学してみる価値は今の時代だからこそ十分にあると思う。「何が何が、何が!」今を苦しむ哀れな昆虫たちをつくったのかを。

それでは、Good bye!

2011-01-23(Sun)

第115話 センター試験と教育

センター試験に変化の兆し、慶大が来年撤退へ

22回目となったセンター試験。

 利用校は増え続け、今年も過去最高を更新し800校余りが参加したが、来年から主要大学では初めて慶応大が“撤退”するなど変化の兆しも出ている。

 「正直に言ってショック」。大学入試センターの担当者が話す。慶大は、第1回から参加していた私大16校の一つ。だが、2006年度入試の医学部(英語)に続き、来年度入試から法学部と薬学部でも利用を取りやめて全学部から「センター利用受験」が消える。慶大の担当者は、「優秀な学生の獲得を目指し、独自の特色ある入試を導入する」と説明する。「センター試験のレベルでは、難関大を目指す層では差がつきにくい」(塾関係者)との指摘も出ており、こうした点に不満を持つ有力大学に撤退の動きが波及する可能性もある。

読売新聞 1月16日(日)

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AO入試(アドミッション・オフィス)を日本で最初に大学入試に取り入れたのも確か慶応ではなかったか。その時期も私の記憶では、1990年前後の日本でバブル経済崩壊の前夜頃だったように思う。もちろんその同じ時期に、大学名は明かせないが英語の強い学生が入学する東京のある有名私立大学の教授が、討論会の中で他の出席者と意気投合して、「入試科目になぜ”英語”なのか?英語は不要である。」と、今にも崩壊する日本経済の現状を知らずに、その時季の巨大な、そして泡のような経済力を背景に(当時、日本の金でアメリカ合衆国全土を購入できると一部のマスコミは述べていた。)豪語していたが・・・。とにかくその慶応大学のAO入試のニュースを見たとき、私は日本型の受験システム、つまり小さく言えばセンター試験のようなもの、大きく言えば暗記中心の日本の学校教育が崩壊する兆しではないかという予感がした。西欧型の論理構成に基づいた「英文読解と小論文」中心のAO入試は、現在の日本でもその後の各大学の導入によって日本式に形骸化されて存在するものの(生徒獲得に苦しむ大学が文科省の認める入学方式の一環として利用)、慶応大学や一橋大学の一部入試のように「ある意味、正しい方向での定着」をみたものは少ない。

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いずれにせよ、時間はかかると思うが今の暗記型のセンター試験のようなものはこの21世紀において陳腐な試験方式として消滅するか、それとも日本そのものが沈没するかするであろう。なぜなら、「人作り」を誤っているからである。このセンター試験にこだわる大半の学校教育も私がこのブログで常に述べているように、「時代遅れで陳腐な、しかも気色の悪い教育」として後世において必ずや語られることになると思う。

それでは、Good bye!

2011-01-16(Sun)

第114話 塾(予備校)と教育産業と学校の三つどもえ

学校教育は憲法によって義務づけられ、教育基本法によってその義務を具体的に規定されているが、塾や予備校には学校法人である場合の一部の義務づけを除いて、基本的に教育基本法に基づいているものではない。

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それが原因なのか、「学校は塾や予備校とは格が違う」という意識が学校教師にはあるらしい。しかし、特に私立の学校に強く言えることではあるが、最近では公立の学校までとんでもない現象が起きている。

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生徒募集から生徒指導の指導法、教師の教育と学習指導、塾・予備校への教師の委託、業者の作成した使用教材からテストや模擬試験、最終的には学校内で塾・予備校の授業の開講、進路・進学指導はすべて業者の模擬試験による成績評価・・・いやはや参ったと言いたい。

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昨日のニュースはその現実を結果的に、そして実質的に全国規模で「システム化」することになるもので、これで「子供手当や高校の授業料の無償化」というから恐ろしい。これは、「教育の空洞化」以外の何ものでもなく、希望に満ちた未来のある若者が育つはずがない。

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ある教育関係者が次のように語っている。「生徒がいなければ学校はなくなり、教育そのものが存在しなくなる。背に腹は代えられない必要悪なのだ。」と。笑っちゃうよね、本当に。

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以下資料です。

<教育産業> 毎日新聞 12月24日(金)8時11分配信

□ 主な予備校・学習塾の買収・提携

 塾や予備校など教育産業の世界で、業界再編が進んでいる。従来の「塾は小、中、高生、予備校は浪人生中心」という垣根は崩れ、大手グループへの系列化が加速。少子化傾向に歯止めがかからないことを背景に生き残りをかけた合従連衡が続きそうだ。【井出晋平】

◇小学生から浪人まで

「はい、この単語の意味は?」。大手予備校、代々木ゼミナールの施設を利用した東京・代々木の教室で、塾大手「サピックス」の講師が教べんをとる。20人以内の少人数でテンポのよい授業。代ゼミとサピックスが共同で9月に開設した「Y−SAPIX東大館」だ。

サピックスの少人数教育は、大教室主体の代ゼミにはないノウハウ。教室の傍らでは、代ゼミの講師が、熱心にメモを取っていた。

代ゼミは昨年9月、サピックスの中学・高校部を買収。今年5月には小学部も買収し、中学受験から大学受験までの一貫体制を整えた。「浪人生が激減し、対象学年を下に広げるしかない」。代ゼミを運営する高宮学園の高宮敏郎副理事長は、そう説明する。

代ゼミは来年3月、「Y−SAPIX」を都市部を中心に49カ所開設し、「現役」の中・高生部門を強化する。高宮副理事長は「大手の予備校、塾の創業世代が引退時期を迎え、後継者難から身売り話の持ち込みが多い。買収価格も最近下落傾向」と明かす。

 □ 教育産業界では、「予備校−塾」を中心に業態を越えた買収、提携が相次いでいる。大手予備校の河合塾は08年1月、大手塾の「日能研」と合弁で東海地区に「日能研東海」を設立、中学・高校受験に参入した。予備校「東進ハイスクール」を運営するナガセは、06年に中学受験で定評のある塾「四谷大塚」を完全子会社化。通信教育「進研ゼミ」を展開するベネッセコーポレーションは07年、塾大手「東京個別指導学院」を子会社化した。

それでは、Good bye!

2010-12-25(Sat)

第113話 2億円の遺産

今から10年以上前のこと、新聞の奈良版の下にある小さな記事に目がいったのです。それは奈良県内のある大学教授の訃報の記事でした。ふと目にしたのはその記事の頭に太文字で「遺産2億円」と書いてあったからです。

・・

私はその記事を書いた記者と同じように、大学の教授が遺産を2億円も遺したことに興味を持ってその記事をしっかりと読みました。読んでみるとある面白いことに気付いたのです。その人はかつて「しけ単」「でる単」で有名な大学受験の三種の神器の一つである英単語帳の著者、森一郎氏その人だったのです。

・・

死者に向かって唾する気持ちは毛頭ありませんが、「しけ単」の前は「赤尾の豆単」で、「しけ単」の後は「ターゲット」です。英語マスターのための小道具の名前は時代によって様変わりするけれども、英語を如何に捉えるかの哲学も、従ってマスター法も戦後65年間漢字文化から抜け出せず、哀れにも一貫しているようです。

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漢字文化に基づいていくら英単語を覚えても「欧米文化の象徴である英語」をマスターすることができないのは言うまでもありません。にもかかわらず、一貫してその努力を惜しまないのは「呆れた」か「愚か」の一言でしょう。

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英語を自由に翻訳することも書くこともできない自称(と言わせてもらいますが)英語教師から英語を教わり、その結果某国立T大学やK大学に合格できるという仕組みを作ったのは、いったいどんな国民か、どんな大学かと問いたい。

それでは、Good bye!

2010-12-24(Fri)

第112話 高校の「進路指導室」とは一体何か?

もう30年ほど前になるのですが、恥ずかしながら予備校経営の一環として3〜4年間関西の高校約45校へ生徒募集で通っていた時期があります。その後止めたのは、そのような営業活動は当然自分の教育観に反すると思ったこともその一つですが、その教育観が本になって奈良県のある2つの県立高校で進路担当の教師と大げんかをしたからでもあるのです。詳しく述べる機会があればいつかそのいきさつを話しましょう。

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ここではその話ではなく、あきれた高校の進路の姿の一つをお話しします。約45校というのはいわゆる関西の一流進学校と言われるところですが、その「進路室」に入って常に抱く印象というのは、その部屋が若者にとっての人生への進路のためのものではなく、大学入試のためだけに向けられ、そして偏差値ということばが飛び交う薄汚い受験対策の資料室だったのです。並んでいるものは、各大学の赤本や入学案内書、受験参考書や大手の予備校の入学案内、それに当時は全国模試が「進研」から「全統」へ移る時期でもあって、やたら進研模試や全統模試の段ボールが目についたのです。

・・

その傾向は、生徒に接すれば分かるのですが現在でも健在なようで、行き場のない苦しむ高校生をその部屋から大学や社会へ吐き出しながら、自らの行動や発言の責任や過ちを全く感じない教師がその場にいるのです。あなた方は一体何をするための教師なのかと問い質したい。

それでは、Good bye!

2010-12-23(Thu)

第111話 個人主義と協調精神

同じ資本主義社会であっても個人主義を前提とした社会システムと、そうではなくむしろ協調主義、あるいは協調精神を前提とした社会システムは、人間活動の在り方や社会資本、あるいは社会建設の展望や方向性において大きく異なるのではないかと思っています。

・・・

それを抽象的、あるいは結果論的に言うなら、前者の社会は最低「人間社会」であると言うことができても、後者の社会は「本能に支配された人間らしからぬ社会」とでも言えるのではないか、ということです。

・・・

最初に述べたのは社会についての考え方で、後に述べたのはその考えを具現した現実社会の在り方です。言うまでもなく、前者の意味の論拠を述べることも、また後者の現実社会への適応のプロセスの論拠を述べることもその必要性があります。

・・・

しかし、今それを述べる気力が湧いてこないのです。ただ言えることは、実に唐突に聞こえるかもしれないけれども実際的には上記した人間や社会についてのものの考え方と深いところでしっかりと繋がっているのですが、こんなことが人間を育てる教育の現場に厳然としてあるのです。

・・・

それは、「学校教育の理想を論じるのもいいが、それも学校あってのことで学校がなければ何の意味もない。」という暴論です。つまり、学校教育よりも学校の存在が優先されるという暴論です。言葉を換えて言えば「教育の在り方よりも経営や儲けの方が優先される」ということです。この考え方が教育の前提となっているために、その前提から生まれ出るありとあらゆるものが、上記したような有様で現れてきて、ギブアップ!!となるのです。

それでは、Good bye!

2010-12-09(Thu)

第110話 教育の目的と手段

言うまでもなく、教育の目的は「・・国家及び社会の形成者として・・自主的精神に充ちた心身の育成・・」(教育基本法 第1条)のために行われなければならないが、果してそうなっているのであろうか?民主的な国家や社会建設の一員となるために、教育の中で若者は未熟ではあるが「個人の価値をたっと」ばれ、自主自立の精神が育成されなければならないとこの教育基本法は述べている。

・・・

しかし、今の教育を冷静に見て欲しい。「教科書教育」といって教師が自ら書き著したものでもない他人の書いた教科書を用いて、しかもその内容の真偽のほども明確に分からないままに、何も知らない未熟な生徒に対して物一つ言わせずまるでノルマのように、しかも自らの人生を語るのではなく、自分には理解足らずの内容を恥じることもなく平然と生徒に向かって、しかも一方的に「解説」するのである。そして、その理解度を定期的にテストという形で判定し、その結果が進学の合否基準となる。そしてそれを教育と呼んでいる。何とも恥知らずなことではないか。そこで、日本人の言うこの「教育」の一連のサイクルを何度も確認して欲しい。

・・・

そのサイクルから見えるものは、教育基本法が言う「教育の目的」とは縁もゆかりもない、単なる「目的のための一手段」(無条件に覚える)にすぎないことが分かるであろう。その場合に、危険なこととして過去の歴史が示しているように、教育の中にいとも容易に「教育勅語の精神」が亡霊のごとく現れるのは、過去、現在、そして恐らく未来にも行われるであろう教育という名を持ついわゆる「受験教育」がその一因であることを知らなければなりません。

それでは、Good bye!

2010-11-10(Wed)

第109話 偏差値とグローバル・スタンダード

第106話 「アマチュアに甘んじる日本の風土」の中でも述べたことではあるが、最近のマスコミの情報からすると、企業が求める大卒者の条件は、第一にもちろん「academic expertise(学問上の専門性)」であり、第二に「language skills(語学力)」だということである。グローバル化された現代社会において、そのごく当たり前のそれら二つの能力について日本の若者は海外の若者に比べて見劣りがし、競争力に欠け、従って就職活動など全ての社会活動において引きこもる傾向にあると言われている。

・・・

この厳しい現実を目の当たりにして、なぜ日本の若者は暗記力を中心とした、つまり最初から学習の範囲も、学習の結果も分かっている嘘か本当か定かではない官製の学習内容を、専門性の乏しい教師や問題集の解答や解説だけを信用して、飽きもせずその習慣を何時までも忘れずに続けるのであろうか?学問のプロセスとは無縁の教科書教育を2000年以上もの間それを子雀のように繰り返すことが如何に愚かなことであるかを示す実例が、上記したように今の21世紀の世に現実のものとなっているのに、なぜあの愚かな偏差値教育を捨てようとはしないのか?日本の若者よ、立ち上がって、「私たちは意思のある一人の人間である、だから社会進歩に貢献できる存在なのだ!!」と叫ぼうではないか。

それでは、Good bye!

2010-10-21(Thu)

第108話 <中退>大学生の8人に1人 NPOが試算

毎日新聞

 大学や専門学校など高等教育機関からの中退が深刻化している。NPO法人が調べたところ、大学生の8人に1人が中退していることが分かった。人間関係のつまずきなどから卒業資格を得られなくなり、社会に出て不安定雇用を余儀なくされる若者も後を絶たない。NPOは「中退を社会問題ととらえる時期にきている」と訴えている。【山崎友記子】

 調査をしたのはニート・フリーターの若者を支援する「NEWVERY」(ニューベリー、東京都豊島区)。中退者101人にインタビューし、今年6月「中退白書2010」にまとめた。

 「あのままだったら、ずっと家に引きこもって命も絶っていたかもしれない」。インタビューを受けた千葉県の会社員、佐藤輝一さん(24)は振り返る。

 佐藤さんは高校卒業後、東京都内の私立大の工学部に進んだ。浪人していたので合格できることを最優先して志望校を決め、学校の内容を詳しく調べることもしなかった。

 入学直後「雰囲気になじめない」と気付いた。自分は活発で外向的だが、おとなしいタイプの学生ばかり。サークルに入っても友達はできなかった。授業も難しくてついていけず、キャンパスからは足が遠のいた。

 誰かに相談したり先を考えることもないまま、その年の7月に退学。「何をしたいのか自分でも分からなかった」。アルバイトもやめて部屋にこもり、誰とも口をきかない日が続くうちに、自殺を考えるようになった。

 「誰かが本気になって止めてくれたら、やめずに済んだかもしれない」と佐藤さん。経験を基に「ただ『大学が合わないから』では、やめてから苦労する。卒業して悪いことは一つもない。まず誰かと話し、気持ちを整理しては」とアドバイスする。

 労働政策研究・研修機構の06年の調査によると、中退直後、約6割の人が非正規雇用に、約15%が失業・無職状態にある。さらに最終学歴が「高等教育中退」の人の約5割が中退直後から継続して非正規雇用となっている。また、日本生産性本部の07年の調査では、全国に63万人(厚生労働省推計)いるニートのうち3割が高校、大学などの中退者とされた。

 国は高等教育機関全体の退学者数を把握していない。そこでニューベリーの山本さんらが文部科学省や日本私立学校振興・共済事業団などの調査を基に試算した結果、毎年約11万人が退学、大学では入学からの4年間で8人に1人が中退している計算になった。

 中退経験者101人へのアンケートでは、中退の3大理由は(1)学習意欲の喪失(2)人間関係(3)関心の移行=グラフ参照。一つの理由でやめる例は少なく「授業がつまらない」「友人がいない」などが複数重なった退学者が多い。経済的理由は1割程度で、奨学金制度などを知らずに退学している例もあった。

 山本さんは「多くが誰にも相談せず、何とかなるだろうと安易に中退を決めている。大学中退者は高校の新卒者より就職が厳しい。本人も周囲もリスクを理解した上で、やめるかどうか判断して」と呼びかける。同時に学校側にも「授業や学校生活の充実と、相談機能の整備を進めるべきだ」と注文している。

(私見)

中退者の割合が本当に「8:1」であるならそれは最悪の数字であり、もちろん見過ごすことはできない。しかも

中退理由ベスト3を見て納得した。というのは、「学習意欲の喪失、人間関係、関心の移行」という中退理由は、「何のために大学へ行くのか、入学することだけが目的か」という大学進学目的の「無い、曖昧、思い込み」の人に見られる現象だからである。記事を書いた新聞社も取材されたNPOも中退するときには「誰かに相談を」というが、相談を受けた人はどう返事をしろというのだろうか?私だったら返事のしようがないのである。要するに、相談は決して根本的な解決にはならないのである。そうではなく、大学進学は全て「善」であることを前提として、大学入試の指導を教育と言ってはばかることなく、若者を盲目的に、無批判に「戦場」ではなく「大学」へ送り出している日本の特に高校教育の有様に対して日本国民はおかしいとは思わないのだろうか?若者を責め、また慰めて解決できるような問題ではないのである。教育者は厳しい自己批判をすべきであるし、国民も若者が自律できる教育内容かどうかの厳しい目を日本の教育機関に対して向けるべきではないかと思う。

それでは、Good bye!

2010-08-07(Sat)

第107話 日本人の鎖国思考と携帯のガラパゴス現象

時事通信

 海外勤務を望まない新入社員は2人に1人―。産業能率大学が28日発表したアンケート調査で、内向き志向を強める若者の実態が浮かび上がった。携帯電話のように日本国内で独自の進化を遂げて世界標準から掛け離れてしまう現象を「ガラパゴス化」と呼ぶが、産能大は「人材のガラパゴス化が始まるかも」と危惧(きぐ)している。

 調査は6月、2010年度に新卒入社した18〜26歳の男女を対象にインターネットで実施。400人から回答を得た。

 それによると、海外で「働きたくない」と答えた新人は49%。07年調査での36%から大幅に増えた。理由(複数回答)としては「海外はリスクが高い」(56%)、「能力に自信がない」(55%)、「海外に魅力を感じない」(44%)との回答が多かった。

 一方、「どんな国でも働きたい」と答えた新入社員は27%で、こちらも3年前の18%から増加。人材の二極化が進んでおり、産能大は「海外志向が強い人材の確保に向けた企業間の争奪戦が注目される」と指摘している。

(私見)文化的に引きこもるかそうでないかの基準は、日本の若者の個々的な「自律の程度」の問題ではないかと思っている。そして、若者の自律の確立に対する育成の促進や育成の阻害は、成長期にある彼らにとっては言うまでもなく彼ら自身の問題ではなくて、特に学校教育が中心となり、それに家庭と社会での教育がその要因となる。とすれば、今の日本の教育の前時代性から見て上に見た「49:27」の比率が如何に大きなそして急速な日本社会の変化の指標であるかに驚かされる。というのは、私は現段階では、「10:1」ぐらいの腹づもりで捉えていたからだが。この現象は遡れば幕末の社会現象に酷似しているのではないか?結局、時の社会のエリートである武士とその社会を支える精神的家父長制が崩壊して、市民、商人が台頭することになる。21世紀における現代の「社会のエリート」とは、「精神的家父長制」とは、そして「市民、商人」とは一体誰を、何を指しているのか? 

それでは、Good bye!

2010-07-29(Thu)

第106話 アマチュアに甘んじる日本の風土

久々です。いきなりですが、日本の若者は、「英語を翻訳できない、英語を話せない」教師に英語を習う。これは一体どういうことなのか?、私には分からないところです。中学でも、高校でも、予備校でも、あるいは英語の参考書を出版している、高校の入試問題を作成している、果ては大学の教養課程で英語を教えている、大学受験問題を作成している、さらに大学院の教授までが、実は「英語を翻訳できない、学術論文が読めない・書けない、そして英語には自信がない」と言うのです。私の所に来て、あるいはメールや電話で。そして、私は通信教育(奈良新聞社との共催「ヘッドライン翻訳コンテスト」や、本学園の「ネット通信予備校」や「院試・編入の通信教育」)だけではなく、毎週大学院・大学編入予備校でも現実にそのような人をこれまで20年以上にもわたって指導してきたし、今も指導しているのです。気持ちが切なくなるのです。しかし一方で、日本の若者や大人は高校受験と大学受験に合格すればいいと言って、まともに英語の一つもできない人に中学や高校、塾や予備校などで受験勉強の指導を受ける、受けさせている現実があるのです。ところがグローバル化された現代、日本のトップ企業でも語学力のない者は採用しない(トイック70%以上が最低条件、しかし日本の大学生の平均点は40%前後)と言うし、また日本の大学の偏差値は世界で求める専門性に通用しないという理由で採用しないという。そして、日本の若者は就職難だの氷河期だのと苦情ばかり言う。このような事態になっている、現実があるのに、なぜ日本人は進学教育とか言って、塾や予備校、私立の6年一貫教育の日本式アマチュア教育をそれほどまでに御執心なのか?なぜ疑問を持たないのか?恐らく、この社会は、英語のみならず万事がそうなのではないかと思っている。目を覚ませ、日本の若者たちよ!!

それでは、Good bye!

2010-06-26(Sat)

第105話 面白い記事ー「脳トレ」効果に疑問…英で1万人実験

コンピューターを利用した脳トレーニング(脳トレ)は、健康な人の思考力や記憶などの認知機能を高める効果は期待できないことが、ロンドン大学などの1万人以上を対象にした実験で分かった。

 脳トレは世界的ブームになっているが、大規模な検証はほとんどなかった。英科学誌ネイチャーで21日発表した。

 18〜60歳の健康な1万1430人を三つのグループに分け、英国で販売しているコンピューターゲームをもとにした脳トレを1日10分、週3日以上、6週間続けてもらい効果を調べた。

 最初のグループは積み木崩しなどを使った論理的思考力や問題解決能力を高めるゲーム、もう一つのグループはジグソーパズルなどを使った短期記憶や視空間認知力を高めるゲームをした。残り一つは、脳トレとは無関係のゲームを行った。その結果、脳トレを続けたグループでは、ゲームの成績は向上したが、論理的思考力や短期記憶を調べた認知テストの成績はほとんど向上せず、3グループ間で差がなかった。

最終更新:4月21日12時34分

読売新聞

それでは、Good bye!

2010-04-22(Thu)

第104話 AERAに面白い記事(早期教育効果は小学生で消える)

AERA4月19日(月) 11時31分配信 / 国内 - 社会

──小学校入学前に読み書きを習得する子どもは多い。その風潮に警鐘を

鳴らす研究が報告されている。本質的な学力を決めるのは親子関係だという。──

 都内に住む30代の母親は最近、4歳の女の子が図書館で読んでいる本を見て驚いた。絵はなく、漢字まじりの文字ばかり並ぶ小学校中学年用の読み物だ。自分の小学1年生の子どもは、入学してようやくひらがなを習ったばかりだというのに。思わず「すごいね」と声をかけると、女の子は「漢字も書けるよ」と言って、スラスラと漢字を書いた。女の子の母親と話すと、通っている有名私立幼稚園では珍しくない光景だという。

■所得よりも養育態度

 最近、地方都市から東京に転居してきた40代の母親の長男が通った保育園は、外遊びを重視し、幼児の読み書きなど早期教育には批判的な方針だった。長男は文字をほとんど書けないまま小学校に入学した。入学後、近所の5歳の女の子が持っていた「お勉強ノート」を見て圧倒された。画数の多い小学校中学年向けの漢字がびっしりとノートのマスを埋めていた。入学後も、わが子がカタカナに四苦八苦する傍らで「5年生の漢字が書けるよ」「九九できるよ」と豪語する級友の存在を知り、長男が勉強についていけるか心配になった。

 しかし、お茶の水女子大学の内田伸子教授(発達心理学)は、文字の読み書きなどの早期教育に批判的だ。内田教授は昨年秋の東アジア学術交流会議で「幼児のリテラシー習得に及ぼす社会文化的要因の影響」調査を発表した。

 ちょうどその2カ月ほど前、文部科学省は全国学力テストの結果を分析し、親の所得が高いほど子どもの学力が高いという調査を発表していた。親の年収が 1200万円以上では国語、算数の正答率が全体の平均より8〜10ポイント高く、200万円未満では逆に10ポイント以上低かった。

 だが、内田教授の調査では、子どもの学力格差は親の所得格差ではなく、親子のかかわり方が大きく影響していた。たしかに「読み・書き」能力だけみれば、3歳では親の所得や教育投資額が多いほど高かった。しかし、その差は子どもの年齢が上がるにつれて縮まり、小学校入学前に消滅した。文字などの早期教育の効果はわずか、数年しか続かないのだ。

 すでに内田教授は20年以上前に実施した調査で、3、4歳で文字を習得している子と、習得していない子との差は、小学校入学後に急速に縮まり、1年生の9月には両者の差は消えてしまうということを指摘してきた。また、別の研究でも、漢字の習得では、早期教育を受けなかった子どもとの差は小学校2年生ごろに消滅し、むしろ国語嫌いは早期教育を受けた子に多かったということもわかっている(黒田実郎、「保育研究」)。

■想像力豊かな子は…

 一方、幼児の語彙力については、親の所得や教育投資額が多いほど高かった。しかし、詳細な分析をした結果、語彙の成績を左右するのは所得や教育投資額ではなく、親の養育態度であるとわかった。

 内田教授は、こう話す。

「語彙力というのは自律的思考力を支えるものです。所得が低い家庭であっても、子どもとのふれあいを大事にして、楽しい経験を共有するような『共有型』の養育スタイルの家庭の子どもの語彙得点は高いのですが、所得が高くても大人の思いを押しつけ、トップダウンで禁止や命令、体罰などを多用する場合は子どもの語彙の成績は低いのです。他の子どもとの比較や勝ち負けの言葉を多用するとか、子ども中心で親が犠牲となる教育も、学力基盤を育むのに効果はありません」

 つまり親の「人間力」こそ、子どもの語彙力の発達には重要だということだ。しかも、この語彙力こそ学童期以降の子どもの学力と関連があると話す。

 また内田教授が文字を習得している幼児と習得していない幼児に、それぞれ空想でお話をつくってもらったところ、文字を習得していない子どもの方が想像力豊かな内容だったという。こうした研究を通じて、過熱する一方の早期教育に警鐘を鳴らしてきた内田教授は、こう話す。

「幼児期には五感を使って親子で体験を共有することが大切です。親子のコミュニケーションや会話のやりとりを通じて、子ども自身が考えて判断し、親子の絆が深まっていく中で子どもの語彙力は豊かになる。お金をかけなくても子どもは伸びるのです」

■鈍る昼間の活動

 研究者の間では以前から「早期教育」の効果に懐疑的な声は多かった。小児科医でもある、お茶の水女子大学の榊原洋一教授は、著書『子どもの脳の発達臨界期・敏感期』の中で、脳神経学的に胎児期や乳幼児期の早期教育の有効性を正当化する科学的根拠はないとしている。

 むしろ、早期教育の弊害として一番心配されるのは、子どものストレスだ。東北生活文化大学の土井豊教授らが、1997年に幼稚園児の尿を採取してストレス値を比較したところ、早期教育を受けている幼児は、受けていない幼児に比べてストレスが高かった。さらに早期教育を受けている幼児は、昼間の幼稚園での活動が鈍くなっていた。幼稚園後の「お勉強」に備え、日中は活動を休止して子どもなりに心と体のバランスをとっているのだろう。日中の活動の低下は子どもの発育にとってよくはない。ほかにも早期教育を受けた子どもがストレスで情緒障害を引き起こしたケースや、親子の愛着関係に悪影響を及ぼした事例も報告されている。

 都内に住むAさんは、長女の妊娠中からクラシック音楽や絵本の読み聞かせで胎教した。乳児期からは水泳、リトミックのほか、有名幼児教室にも電車で通った。自宅では幼児教室の教材やパズル、フラッシュカードで毎日1時間以上の早期教育を実践した。友達と自由に遊ぶ時間は少なかったが、長女に嫌がる様子も見えなかった。どんどん子どもが吸収していくのが嬉しかったし、何よりも子どものためと信じていた。

 早期教育熱はやがて中学受験熱に変わる。Aさんの長女は、過酷な競争を勝ち抜き都内の難関の中高一貫進学校への入学を果たしたが、その後勉強熱が急速に冷めてしまった。競争の激しい進学校で成績は伸びず、大学受験は苦労した。

 有名中学に合格し、張り詰めていた緊張の糸がプツンと切れてしまったかのように、その後の成績が伸び悩む例は多い。子どものストレスは早期教育で終わらない。小学校に入れば塾通い、中学受験、それが終わっても大学受験と、常に急き立てられていく。

■のしかかるストレス

 先の榊原教授は、こうした塾や学習教室での先取り学習も逆の効果を生む危険性があると話す。日本には飛び級制度はないし、習熟度別クラスも少ない。塾などで勉強したことを学校で「復習」する状態が常に続くと、学校での勉強がつまらなくなる。

 先の40代の母親の長男が通う小学校では「(学校の勉強は)簡単すぎてばからしい」と言う子どももいる。こうした子どもたちは、結果として学校の勉強に対するモチベーションが低下し、集中力も低下する。それこそが中学校以降の学力低下につながりかねないのだ。

 だが、榊原教授は早期教育や中学受験に熱心な親たちを一概には非難できないと話す。格差が広がるばかりの社会で、親が子どもの幸せのためにできることといえば、よりよい教育を受けさせることと思いつめるのも無理からぬことだからだ。フラッシュカードで天才児が育つかのような、教育産業のマニュアル化した教材は魅力的に見える。

 榊原教授はこう話す。

「早期教育が子どものストレスにならず『親子のふれあい』に寄与する程度なら使っても良いでしょう」

 フラッシュカードは、知能開発のためではなく、親子のコミュニケーションのために使えばよい。

 Aさんの長女は、大学入学後に幼い頃の塾通いについて、

「辛かった。お母さんにはいやだとは言えずに我慢していた。幼稚園の友達と、もっと遊びたかった。中学受験なんて必要なかった」

 と涙を溢れさせながら訴えた。

 Aさんは「頭にガツンとパンチをもらった感じ」だった。今まで注ぎ込んだお金と時間と苦労を思うと「間違いだった」とは認めたくない気持ちも残る。でも、「ごめんね」と、長女に心の底から詫びた。

 早期教育の効果はわずか数年足らず。だが、子どものストレスは成長した後も心に長く重くのしかかる。内田教授は、

「子どもはお母さんが大好きだから嫌とは言わない。だからこそ、親は子どものストレスのサインを見逃してはいけない」

 と話している。

ライター 麻生奈央子

(4月26日号)

* 最終更新:4月19日(月) 11時31分

* AERA

それでは、Good bye!

2010-04-19(Mon)

第103話 Burnout Syndrome(燃え尽き症候群)と日本の教育(その一)

このバーンアウトの症状がどのようなものであるかを「ウイッキペディア」から引用すると次のようになります。

まず、この言葉の由来ですが、「この言葉は、1970年代半ば、アメリカで対人サービスのメンタルヘルスが注目されるようになり、1974年にアメリカ(ドイツという資料もあり) の精神心理学者 ハーバート・フロイデンバーガー(Herbert J. Freudenberger)のケース分析の中で初めて使われたという。」ことだそうです。

次に、この症状の原因とその特徴を一言でいうと、「ハーバート・フロイデンバーガーの定義によると、持続的な職務上ストレスに起因する衰弱状態により、意欲喪失と情緒荒廃、疾病に対する抵抗力の低下、対人関係の親密さ減弱、人生に対する慢性的不満と悲観、職務上能率低下と職務怠慢をもたらす症候群。」ということになります。

そこで、その症状の原因となる「持続的な職務上のストレス」を具体的にいうと、「極度のストレスがかかる職種や、一定の期間に過度の緊張とストレスの下に置かれた場合に発生する。会社の倒産と残務整理、リストラ、家族の不慮の死と過労などに多い。」ということになります。

また、この症状の特徴は、「朝に起きられない、会社または職場に行きたくない、アルコールの量が増える、イライラが募るなどから始まり、突然の辞職、職場に対する冷笑感、無関心、過度の消費などにはけ口を見出したり、最後は仕事からの逃避、家庭生活の崩壊、対人関係の忌避、最悪の場合、自殺や犯罪などに終わるという。」

ここで、私がなぜこのバーンアウトを取り上げたかというと、現代の若者の中にこの症状、もしくはこれに類似した症状を多く見かけるからだけではなく、そもそも心身ともに健全な若者を育てる義務のあるはずの「教育関係者」が善意(知らない)もしくは悪意(知っている)によってこの症状の社会的再生産の一因という役割を果たしているのではないかと危惧しているからなのです。

第二回目から、具体例を示しつつこの症状の「原因・特徴・治療法」について考えていきたいと思います。

それでは、Good bye!

2009-12-04(Fri)

第102話 21世紀のガリレオ

17世紀の初頭、ガリレオは教会による裁判の中で、神や天地創造と「地動説」を結び付ける言葉として有名な「それでも地球は回っている。」と叫んだと言われる。

しかし思うに、我々が生きるこの21世紀においても、社会や国家を構成する国民一人一人の市民意識・道徳・信条の中で、あるいはその国民によって作り上げられた教育や社会・国家のシステムの中で、「地動説」の言う社会的・信条的・自然的「真実」(the truth)が重く評価されるのではなく、ますます軽く扱われてきているように観察できる。

国民の意思の総体が国家の意思である(民主主義の原理)のなら、国民の意思の形成が「真実」と乖離して形成されても、その意思による社会を「民主社会」と呼ぶのは、天動説を叫んだ中世とあまり変わらないように思われる。なぜなら、「真実」こそが、人の意思の総体の「中心」に位置していなければそれは民主主義における意思ではなく別の意味における(市民社会以前の制度)意思に他ならないからである。

不思議なことだが、最近、時に「真実」という言葉を新聞やテレビで接するのは、それと何か関係があるのだろうかと思っている。

それでは、Good bye!

2009-11-22(Sun)

第101話 判断力・決断力・実行力

人間が人間として成長するというのは、言うまでもなくこの判断力と決断力と実行力が幼児期から成人期にわたって成長すると言うことである。このことは個人から社会人へ、あるいは無責任から有責へと人間としての評価が異なることからも分かることである。

従って、教育は何のためにあるのかというと、この判断力と決断力と実行力があり、責任の取れる自立した社会人を育てるためにあるのは言うまでもないことである。

ところが、現在の教育の実態は、一方では受験指導を教育と捉え、他方ではフリースクールを含め底辺校(一般にそう呼んでいる)を社会福祉の一環として捉えている。転じて社会を見ると、オレオレ詐欺や麻薬が若者層にはびこり、労働基準法無視の就労関係がまかり通り、そして定年後の人生を描けない無気力な老人の実態がある。まさに、世は末である。

そこで、日本人に問いたい。教育は何のためにあるのか、そして人生は何のためにあるのかと。

それでは、Good bye!

2009-10-19(Mon)

第51話 〜 第100話
第1話 〜 第50話